東北モトクロス選手OB会

   平成11年11月14日         仙台国際ホテル広瀬の間


11月14日 発起人、服部カワサキ社長の服部謙治氏(初代の仙台レーシング代表です。)により東北モトクロス選手OB会が仙台国際ホテルで盛大に開催されました。主に昭和30年後半から40年代に選手やメカニック、チーム監督として活躍した方々で、私と庄子選手も40年代前半の選手として招かれ久しぶりに会うモトクロス関係者との歓談を楽しんできました。

OBの中には町長になった方や、国際A級で走っている息子を持っている方などが出席されていて楽しく、2時間があっと言う間に過ぎました。

昭和40年代にはメーカーチームの下に地方ディーラーチームが準ワークスとして多数活動しており、その中でも宮城カワサキ販売からは仙台レーシングとカワサキ赤タンク、ヤマハからは東北ヤマハチームとイイノチーム、スズキからは八千代スピードと岩淵チームが参加して大活躍したものでした。今回のOB会にはほとんどのメーカー系列のOBが出席し120名を越えた、たいへん賑やかな会となりました。

当時から選手の仲は非常に良くメーカー系列を越えた付き合いでしたが、青春時代に同じスポーツで戦った連帯感みたいなものがこれほど強く感じたのはモトクロスだったからの事と思います。しかし私は4輪のモータースポーツの方に長く携わっているので、4輪のOB会が無いという現実に一抹の寂しさも感じます。誰か4輪関係者で企画して見ませんか?

 

大郷町の佐々木町長です。30年代後半にカワサキG1M(市販レーサー90cc)で走ってました。

発起人に120名以上いるのになぜ立食パーティーにしないのか?尋ねましたら、年寄りが多いからとの事、う〜ん納得

司会はテレビでおなじみの全日本モトクロス実況担当、仙台放送の局アナ柳沢さん

現役の国際A級ライダーも多数出席しました皆さん骨折していて足を引きずりながら壇上に上がってました。昔はセニアと言ったもんですが!

昔話になりますが

2輪はMFJが統括しており、選手の技量に応じてクラス分けしてます。我々が走っていた頃のクラス分けはノービス、ジュニア、セニアでそれぞれゼッケンプレートの色分けがされておりノービスは白地に黒番号、ジュニアは黄色地に黒番号、セニアは赤地に白番号でジュニアとセニアだけが前年度の成績順番号を年間通して使用できました。ときどきJAFでもこのシステムが検討されましたがその都度ボツになり現在に至ってます。

次のOB会がとても楽しみです。 

 

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